お昼の稽古のために地下鉄で道場に向かっていたときのことです。

運良く席か空いていたので座りました。
普段はなかなか座れないのでラッキーと思っていたところ、次の駅で多くの人が乗ってきて満席になり、私の前に婦人が立ちました。

70歳は越えておられるでしょうか。
ご老人を立たせておいて自分が座るわけにはいかないので「どうぞ」と言って席を立ったのですが、その婦人は知らん顔をしています。
それどころかそっぽを向いてしまいました。

聞こえなかったのかと思い、もう一度「どうぞお座りください」と言うと、こちらに背中を向けたまま「いや、いい」と首を振るだけです。
その夫人は次の駅で降りていきました。

その夫人から見れば、すぐ次の駅で降りるんだし座らなくてもいいや、という気持ちだったのでしょう。
立ってしまった私は座り直すのもなんだかなぁという感じで立ったままでいることにしました。

いつもの私でしたら
「せっかく席を譲ってあげようとしたのに顔も見ずに無視するとは何と失礼な人だ」
「断るにしても言い方というものがあるだろう」
「恥をかかされた。もう二度と席を譲るのはやめよう」

と腹を立てていたことと思います。
でも今回は不思議と腹は立ちませんでした。
ただこちらの申し出を受けてもらえなかったのは残念です。

「氣」の観点からいえば「氣の交流」ができなかったということ。

本来「氣」は絶えず交流しているものです。
海や川の水は常に流れ、太陽の熱によって蒸発し、雨となってまた地上に降りるという循環の中で新鮮な状態を保っています。
容器に入れて密閉したままにしておくと腐ってしまいます。

それと同じで、私たちも「氣」を常に自然や人と交流させることで、心も明るく健康を保つことができるのです。

残念ながら今回のご婦人は私から送った氣をシャットアウトし、氣の交流を拒否されました。
たまたま虫の居所が悪く、人との会話を避けていたのかもしれません。
それなら一時のことなのでいいのですが、いつもそのような状態だと問題です。

氣を閉ざし続けると新しい氣が入って来なくなり、いずれ氣が欠乏してきます。
氣が欠乏した状態が続くと体に不調をきたしたり、精神面でも不安定になる可能性が高くなります。
それを防ぐためにも氣を交流させることが大切なのです。

今回の件でいえば、断るとしても
「私は次の駅で降りますので結構です。お気遣いありがとうございます」
のような言葉であれば氣の交流がおこなわれたことになりますし、本当に席が必要なときにはまた譲ってもらえることと思います。

しかし、氣の交流を閉ざしてしまうと相手からも氣を閉ざされてしまい、もう二度と席を譲ってくれなくなるかもしれません。

これって心身統一合氣道でも同じことがいえます。
心身統一合氣道も氣を交流させることで成立します。


相手からの「攻撃」によって動かされた氣を尊んで同じ立場に立ち、導き投げることで氣の交流を行います。
相手の氣を受け入れずシャットアウトすれば技は成り立ちません。
お互いの氣の交流を重ねることで不動心、不動体(リラックス)を深めていきます。

場面はどうであれ、お互いに「氣」の交流を深めて、明るく健康な生活を送りたいものですね。