こんにちは。浪花章生(なにわあきお)と申します。

現在、私は大阪で心身統一合氣道を学び、また指導もさせていただいております。

私はもともと身体が弱く、運動神経も腕力もありませんでした。
だからスポーツとはほとんど縁が無く、小学校のときに草野球やドッジボールを少ししたくらい。
高校を卒業するまで運動はほとんどしていませんでした。というより不器用だからできなかったという方が正しいです。

でも大学に入ってから合気道を始めるとなぜかハマり、50歳を過ぎた今でも続けているというのはやはり奥の深い魅力ある武道なのでしょうね。

以下、自己紹介をさせていただきます。

ひどい乗り物酔い

私は、1966年(昭和41年)1月に和歌山で生まれました。
生まれつき身体が弱くて運動神経もなく。。。特に憂鬱だったのが乗り物酔いがひどいこと。

和歌山からJR阪和線で天王寺へは1時間程度。それでも天王寺で嘔吐していましたから相当ひどかったと思います。
おかげで小学校から高校までの修学旅行は保健の先生とともに別の車で移動していました。
今思えばなんとみじめだったことでしょう。

父から合気道をすすめられて

高校を卒業し、和歌山を脱出して大阪の大学に入りました。
身体の弱い私を父は心配していまして、私に合気道をすすめてくれました。

合気道は父が熊野塾(和歌山県新宮市にある合気会の道場)でお稽古していたことは知っていましたが中身はよく知りません。
でも身体が細くて体重も筋力も無い私ですから、空手や柔道のような激しい武道はできそうにありませんし、身体を鍛えなければと思っていたので合気道を始めることにしました。

心身統一合氣道を始める

場所は大阪市淀川区(当時)の「光心館道場」。宗主である藤平光一先生が始められた心身統一合氣道の道場です。
さっそく入会させていただき、お稽古を始めました。やってみると運動神経の無い私でもお稽古できるではありませんか。
とても嬉しくなり毎日のように通うようになりました。

稽古を始めて一年が過ぎたころ、お稽古仲間からのお誘いで道場に付属していた寮「鴻志寮」に入れていただくことができました。
ここは藤平光一先生をはじめ多くの先生方が大阪へ来られたときに寝泊まりされるところで、道場では聞けないようなこともお話していただいたりご指導いただくことができる貴重な場でした。

鴻志寮に誘ってくれた由里くん(右)と

藤平光一先生(中央)、片岡武壽先生(左)と

大学二年の途中から卒業するまでの三年近くの間、この鴻志寮で修業生として生活させていただきました。
仕事に追われている社会人であればとても体験できないような貴重な経験をさせていただいたと思います。

乗り物酔いだったことも忘れて

大学を卒業するころには乗り物酔いのことはすっかり忘れてしまっていました。
栃木や千葉の方へも合宿に行っていましたが全く酔っていなかったのです。
合気道は受け身をするので、身体が回転することで自律神経のバランスが良くなったのかもしれません。
心身統一合氣道を通して、病弱で腕力も無い私が心身ともに丈夫になり、プラスの心を持つことができるようになりました。

今や年齢も50を過ぎてしまいましたが、これまで学んだ心身統一や合氣道の素晴らしさを広くお伝えしたいと思ます。
運動が苦手な私でもできたのですから、あなたが運動が苦手だとしてもきっとできるはずです。

一緒に学んで行きましょう!お待ちしています。

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